浦和簡易裁判所 昭和38年(ろ)130号 判決 1965年7月03日
被告人 松高良彦
昭四・二・二七生 会社員
主文
被告人に対し刑を免除する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、氏名不詳者一名と共謀のうえ昭和三七年四月二五日午後五時頃東京都北区田端町五七番地先路上において、日本電信電話公社所有の電柱(高見支八号)に同社もしくは同社との契約により電柱広告業務の遂行に必要な範囲内において電柱の管理権を有する財団法人電気通信共済会の承諾を得ないで「日韓会談反対日本共産党岩間正男」と印刷したポスターを貼つたものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人及び被告人の主張に対する判断)
一、本件は検察官が公訴権を濫用したもので、公訴提起の手続が違法であるから、公訴棄却の判決をなすべきである、という主張について。
本件は昭和三七年四月二五日発生し、昭和三八年一一月二九日起訴(略式命令請求)されたものであるが、これに先だつて昭和三七年七月三一日豊島簡易裁判所に起訴(略式命令請求)され、略式命令不送達により昭和三八年一月二二日公訴棄却となり、更に同年二月一八日同裁判所に起訴(略式命令請求)され、これも略式命令不送達により同年一〇月一四日公訴棄却となつている。
しかして右二回の起訴状にはいずれも被告人の住居として東京都練馬区春日町一丁目二四六三番地と記載されているが、被告人の住民票、被告人宛の年賀はがきによれば、被告人は昭和三七年八月一九日肩書住居に転居したこと、そして同月二七日与野市役所に転入届出をなし、またその頃練馬郵便局にも転居届をなしたことが認められる。
従つて昭和三八年二月一八日の第二回の起訴に際し検察官が起訴状に漫然と旧住居を記載することなく、調査のうえ新住居を記載すれば当時略式命令は被告人に送達された筈である。
右によれば被告人の住居について検察官の調査が不充分であつたことは否定できない。しかしながら、検察官において、被告人の新住居を知りながら起訴状に旧住居を記載したり、もしくは他のなんらかの目的のためにかかる取扱をしたようなことは全く認められないのであるから、前記の事情があるからといつて、直ちに本件公訴提起が公訴権の濫用であるということはできない。従つて右主張は採用できない。
二、本件軽犯罪法第一条第三三号の罪は毀棄罪の類型に属するもので親告罪と解すべきであるにも拘らず告訴がないから、公訴棄却の判決をなすべきである、という主張について。
軽犯罪法は社会生活を文化的に向上させるため最低限度に要請される道徳律を実体刑法化したものであり、同法第一条第三三号の保護法益は工作物及び標示物の美観と安全であると解するのが相当である。
従つて同条号の罪が個人的法益に対する罪である毀棄罪としての一面を有することは明らかである。しかし他面において、他人の承諾を得ることはなく、他人の工作物にはり札などをすることは、その工作物の所有者や管理人に対し迷惑を与えることに止まらず、社会生活上要請される文化的義務にも違反することとなり、それは即ち公序良俗に反するともいえるのである。
従つて刑法において毀棄罪の或るものが親告罪であるからといつて、軽犯罪法第一条第三三号の罪が当然に親告罪であると解釈しなければならないものではない。
のみならず、ある罪が親告罪か非親告罪かは訴訟条件に関するものであるから、本来法文上明らかであるべきもので、法文上に親告罪である旨の規定がない以上、非親告罪と解すべきものである。
しかして軽犯罪法違反の罪については親告罪である旨の規定は存在しない。
よつて右主張は採用できない。
三、びら貼り行為は憲法で保障する基本的人権たる表現の自由に属するものであるから、びら貼り行為には軽犯罪法第一条第三三号の構成要件該当性がない、という主張について。
軽犯罪法の立法趣旨及び同法第一条第三三号の保護法益については既に述べたとおりであり、また、憲法で保障する表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反することは許されない。
そして社会生活を文化的に向上させるため最低限度の道徳律が守られることも公共の福祉の要請するところである。
従つてびら貼り行為は憲法で保障する表現の自由に属するもので絶対的に保障されなければならず、ひいては軽犯罪法第一条第三三号の構成要件該当性がないという右主張は理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は軽犯罪法第一条第三三号、刑法第六〇条に該当する。
ところで先に述べたとおり、本件犯行の日時は昭和三七年四月二五日であるのに、昭和三七年七月三一日及び昭和三八年二月一八日の二回にわたる起訴(略式命令請求)はいずれも略式命令不送達により公訴棄却となり、ようやく昭和三八年一一月二九日本件起訴(略式命令請求)となり略式命令が被告人に送達されたこと、本件犯行後被告人は転居したが市役所及び郵便局に届出をすませていたものであり、前記略式命令不送達について被告人には責任がないこと、結局被告人は本件犯罪の公訴時効の期間が一年であるにも拘らず犯行後一年七ヶ月を経過した後に起訴され審理を受けたものであること(その間二回の公訴提起により時効の進行は停止している)、また、本件起訴が軽犯罪法の本来の目的を逸脱して他の目的のために濫用されたものであると断定するに足る資料は存在しないが、本件事案が基本的人権たる表現の自由に関するものであることは明らかで電柱等に対するびら貼りの取締りが一般にはかなり野放しの状態にあることと対比するときは、軽犯罪法第四条の立法趣旨に照らし慎重な取扱が望ましいこと、以上の諸事情を考慮し、同法第二条により被告人に対し刑を免除することとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 杉山伸顕)